読むとお酒が更に美味しくなる泉橋酒造のはなし
時代の流れと共に
読むとお酒が更に美味しくなる泉橋酒造のはなし
栽培醸造蔵である弊社の位置する「海老名耕地」は、近年行われた河原口坊中遺跡の発掘調査より、 すくなくとも2,200年前から米作りが行われいたようです。 その後3~4世紀には秋葉山古墳群など古墳多くが造られたり、 7世紀には相模の國の国分寺・国分寺尼寺が建立された土地です。 また海老名の町は地割りおいても古代の条里制の遺構が今もしっかりと 残るまちでもあります。
このような悠久な時の流れのもと、江戸安政4年(1857年)に「橋場酒造店」として、農業を背景に酒造りを始めました。また銘柄の由来となる「泉川」は、用水として泉橋酒造の敷地内を流れていたもので、この「泉川」と屋号「橋場」から銘柄名「泉橋」は名付けられています。しかしながら、昭和初期の土地改良事業により泉川は用水路へと変わりましたが、当時川岸にあった玉石は、今回の照らす(テラス)席の土台として大切に使用しています。尚、戦後の昭和31年(1956年)に「泉橋酒造株式会社」と社名変更をして現代に至ります。
令和2年10月吉日 蔵元敬白
【泉橋の由来について】
銘柄の由来となる「泉川」は、用水として泉橋酒造の敷地内を流れていたもので、この「泉川」と屋号「橋場」から銘柄名「泉橋」は名付けられています。しかしながら、昭和初期の土地改良事業により泉川は用水路へと変わりました。この辺りの地名は「上今泉」や「下今泉」「泉町」など「泉」と付くものがいくつかあります。
土地改良後の航空写真(1947年米軍撮影)