蔵元日記

蔵元日記

2021/10/01

「田んぼは自然の恵みを米に変える立派な装置」~農業を守ることが酒蔵の使命~

「田んぼは自然の恵みを米に変える立派な装置」

~農業を守ることが酒蔵の使命~

泉橋酒造株式会社 代表取締役 橋場友一 2021/07


泉橋酒造について

弊社は、江戸時代の終わり、安政4年(1857年)創業の酒蔵です。私は創業より数えて六代目に当たります。酒蔵のある神奈川県海老名市は、ちょうど神奈川県の真ん中あたり、左右を分ける相模川の左岸、豊かな沖積平野に位置し、古来より「海老名耕地」と呼ばれる有数の穀倉地帯でした。最近行われた発掘調査から少なくとも2,000年前からは稲作が行われていたようで、3世紀頃には多くの古墳が、8世紀には相模國の国分寺も建立されていました。そして、いまもまだ比較的田んぼや畑が多く残り都市近郊農業の盛んなところです。しかし、同時に首都圏のいわゆるベッドタウン、海老名駅にはJRを始め小田急線や相鉄線など3線が乗入れ、国道や東名・圏央道などの高速インターチェンジなど交通のハブにもなっています。人口13万人の人口を支えるべく、開発・宅地化が進み、また最近では駅前にタワーマンションが連なり、昔と比べて驚くほど様相が変わっています。お酒の知識をあまり持たない人でもわかる、泉橋酒造の特徴は何だろうと考えた際に、「首都圏に近い酒蔵」という面と、「田んぼで原材料の米を栽培している」ということになると思います。

いづみ橋 製品イメージ

酒蔵としての農業参入のきっかけ

Windows95と共にインターネット元年と呼ばれた平成7年(1995年)に私は、家業に入りました。継いだ頃は「地酒ブーム」と言われていましたが、原料の米は県外の産地から購入し、精米された後に蔵に納品されることが普通でした。産地は遠く、生産者の顔も見えない現実に、地酒とは何だろう、本来は地元の米・水・風土を生かしたものなのではないかと疑問に思いました。そこで米の流通に関する法律(食管法)が廃止されたのを機に、自分でも酒米を栽培してみようと。元々は兼業で6反程度の米作りはしていましたから、平成8年(1996年)より酒米栽培の試みを消費者・酒販店を巻き込んでイベント形式の「田植え会」「稲刈り収穫祭」として行うことを企画し、「酒造りは米作りから」とする企業理念をアピールする機会として活用しました。遠方までいかなくても日帰りで、首都圏からそう遠くない海老名で田植えの体験が出来るという絶好の機会は、非常に好評を得て、参加者が年々増えました。このイベントは、令和3年現在、26年間続いています。毎回の参加者は200名以上です。

泉橋酒造の入り口

さがみ酒米研究会の結成(契約栽培)

自分の田んぼだけは、原料米は少ししか栽培できませんので、当時テレビや漫画で有名だった「夏子の酒」のヒントを得て、地元の専業農家さん達に「酒米栽培を一緒にやってほしい」という依頼をしました。その結果平成9年(1997年)に農家かつ私の消防団の先輩にあたる4名の農家さんが手を挙げて頂き、これが「さかみ酒米研究会」のスタートになりました。当初は、酒造用として有名な「山田錦」や「雄町」の栽培試験から始まり、初の地元栽培米の製品が出来上がったのが、1999年でした。この4名の農家さん達とは、JA、神奈川県農業技術センター、海老名市役所農政課、そして、泉橋酒造とで弊社のための酒米栽培会「さがみ酒米研究会」を結成し、栽培などの情報共有をしながら栽培面積を増やしていきました。当初4名の専業農家さん達は、米作が中心ではなく、ハウス栽培やキャベツなどが中心で米はメインではありませんでしたが、新たな酒米栽培を新規の事業として参画してくれ、米作をやめる他の農家さんから田を預かる形で面積の拡大して行きました。その結果、当初4名の農家さんは令和3年度では7名に増え、栽培面積も0.2ヘクタールから38ヘクタールに増えています。結果として、市内には耕作放棄された田は現在もそれほど見られず、この20年間にわたり我々の研究会が耕作放棄を食い止める来たとも言えると思います。栽培している品種は、山田錦、楽風舞、神力、コシヒカリを栽培して頂いております。令和2年度の神奈川県産の山田錦は全国で20番目の生産量(40府県中)、楽風舞は、全国2位(2県中)の生産量となっています。

さがみ酒米研究会

この研究会では、1年を通じて、2月は土壌分析や土づくりの検討会、4月総会と栽培面積の契約、6月田植え、7~9月圃場巡回・研究会、8月見学研修会そして、10月収穫と検査のような活動をし、安定的な栽培が可能となっており、泉橋酒造の原料米の凡そ80%を栽培しています。

 

自社での酒米栽培

平成8年より始めた酒蔵として始めた酒米栽培は、当初0.6ヘクタールから令和3年度には8ヘクタールになっています。始めたばかりのころは、田植えイベントを中心に行い、次第に近所の農家さんから田んぼをレンタルする形で面積が大きくなって行きました。一番の契機は、平成21年(2009年)の農地法の改正による株式会社の農業参入の要件緩和でした。これにより、泉橋酒造(法人)として田をレンタルしたり、農業機械を揃えたりできるようになりました。また、酒造りと共に米作りも目指して入社して来る若い社員が増えてきました。蔵人と呼ばれる酒造りの職人も、昔は農閑期の冬に各地へ出向き酒を作る形態が殆どでしたが、今では志を持って酒蔵の門を叩いた若い人たちが、出稼ぎではなく年間雇用形態で就職しています。酒を造り、自らが造ったその酒で夏場に営業活動・宣伝活動をし、さらには米も作る、酒蔵の仕事も昔とは違って様変わりしました。

お米の収穫作業 コンバイン

また、平成24年からは、近隣の相模原市からも農業誘致を受ける形で海老名市から16km離れた農地まで社員が遠征農業を行っています。ここでも離農される田んぼを弊社がレンタルする形で面積が増えています。また、平成29年(2017年)には、弊社は農地保有適格法人にも認めて頂き、農地の保有も始めています。弊社の若手社員たちは、栽培醸造部に属し、夏場は農業、冬場は酒造りを行っています。また、最近の農業技術はIT化が進んでおり、クラウドでの圃場・栽培管理、GPS付きのコンバインや田植え機との連携、そして、ドローンを使った精密農業の実証実験を神奈川県と共同でも行っています。

 

とんぼマークがシンボル!

いづみ橋ではシンボルマークに赤トンボを使っています。赤トンボは田んぼで生まれ育つ生き物なので、農薬を減らせば単純にその生息数が増えていきます。

泉橋酒造 秋 とんぼ つがい

大地を借りて作物を作り、それをもとに商いをさせて頂いている立場としては、当然環境保全を常に考える義務があると思っています。また、人様の口に入るものですから、「安全なもの」を提供するのも当然です。自社の裏手の圃場では、神奈川県と用水路組合と共同で「冬期湛水」や「冬期通水」を行い、田んぼの多面性に配慮した都市近郊農業も行っています。特に、冬期田主を行う自社の田んぼでは農薬を一切使わない栽培もおこなっています。

泉橋酒造 冬期湛水

 

今後の展開と課題

弊社では田んぼも観光資源と捉え、首都圏近郊の訪れやすい立地を生かして、田んぼや酒蔵の見学ツアーや酒蔵での直売店の展開、また2016年からは直営レストランでの飲食事業も行い、地元のお米やお酒だけでなく、県内の野菜や水産・畜産物も紹介しています。

泉橋酒造 圃場

しかしながら、都市化の圧力による農地の減少や1反割りの狭い圃場による効率が悪い農作業や、契約農家さんらの後継の問題などもあります。また、景色としての農業景観も非常に大切だと考えています。田んぼは一度壊したらもう元には戻らないもの、田んぼは先人からの預かりものであり、かつ、子孫からの預かりもの、この自然の恵みを米に変える立派な装置を守ることが泉橋酒造の使命だと考えてスタッフと共に日々励んでいます。


泉橋酒造株式会社

代表取締役 橋場友一(はしばゆういち)

昭和43年10月、神奈川県海老名市生まれ

江戸・安政4年(1857年)から続く造り酒屋の6代目。大学卒業後、証券会社を経て、現在に至る。

自身は農家でもあり、1996年(平成8年)より酒米栽培を始める。

「酒造りは米作りから」がモットーで、酒米の栽培から精米・醸造まで一貫生産をする全国でも珍しい栽培醸造蔵。

※当文章は2021年7月にグリーン・エイジ2021年8月号(一般財団法人 日本緑化センター発行)に向けに作成したものです。

一覧へ戻る