蔵元日記

蔵元日記

2022/02/23

2006年に精米機を導入した時のこと

 ★1996年から米作りを始めて10年が経ち、11年目に醸造用縦型精米機を導入・更新しました。これにより、泉橋酒造は、米作り、精米、そして、酒造りと一貫生産体制が整いました。今から思うととても感慨深いことですが、その話をしてみます。

 

ひと言メモ*話の前提として、米作り→精米→酒造りの順番で、精米工程はとても重要な工程ですが、日本のほとんどの酒蔵は精米工程は外部に委託しており、自社精米はとても珍しいものです。2006年に弊社で精米機を導入した時の話となります。

 

精米機を買うことを決めたきっかけ

2005年春のこと、お世話になっている酒販店さんが、百貨店に出店すると言うので、お酒を買いに顔出しに。そこで休憩でお茶をしているとこんな話が。

「精米機を持ってないと米作りからやっているって本当の意味では言えないんじゃないの」と。

確かにその通り!頭をガツンと叩かれたような気もしましたし、精米機を買う必要があるんだ、と背中を押された瞬間でもありました。

なんとなく、誰が言った訳でもなく、実(まこと)しやかに当時は小規模の酒蔵は精米機は持つ必要なない、そんな無理をしなくてもよいのだ的な考え方があったのも事実でした。また、自社で精米を行う酒蔵は全体の1割ほどのようでした。しかし、米作りから行うのでは精米をしなければ意味がない、そのことを率直に言って頂き、今でも感謝しています。

また当時、精米作業を委託していた神東共同精米(株)が数年後には解散するという話もあり、今後精米をどこに委託するのかを考えなくていけないタイミングでもありました。

ちなみに、この神東共同精米という会社は、当時千葉県流山にあったメルシャンと神奈川県酒造組合、そして、東京都酒造組合の出資する会社で、メルシャンの敷地内でかつメルシャンの社員が出向して運営されていました。また、なんとその会社の社長は、泉橋酒造の当時の社長、つまり、私の父親が神奈川県酒造組合の会長と共に兼務していました。

更に驚くことに最近では有名になった扁平精米法が開発されたのもこの共同精米会社です(この話は別にします)。

そんな事情もあるなか、百貨店の喫茶店での一言が効き、精米機の導入を決めることとなりました。

(写真)当時泉橋酒造は、古い精米機が2台ありました。

当時の泉橋酒造の台所事情

その頃の泉橋の懐具合はというと、前年の2005年から新発売した純米梅酒「山田十郎」が梅酒ブームの中売れ出していたこともあり、精米機の購入も大丈夫だろうと思えました。しかし、それだけの理由では銀行はお金を貸してくれるはずもなく、精米機の導入計画書を私が作ることなりました。

(写真)運ばれてきた組立前の精米機、田しか10トントラック2台分だったような

私はこの時はじめて銀行との交渉を担当

精米機を買うとひとことに言っても話は簡単ではありませんでした。精米機の設置場所はそれなりの広さの場所と10メートルの室内高が必要です。また、精米機自体は、玄米・白米タンク、石貫き機、本体、制御盤、白米計量器、集塵機、ぬかタンク、そして、玄米・白米・米ぬかの置き場等からなる設備の集合体であり、初めて購入するには勉強しなければならないことも多かったように思います。

そして何よりも、これらの精米機一式の購入費と建物の改装費などの資金が必要でした。実はこれが生涯で初めて自ら銀行からお金を借りるはじめての事でした。当時36歳、今となっては恥ずかしい話ですが。

(写真)精米工場建物の改装の様子

数字的な経営の話です

精米工程を内製化すると、それまで外注していた精米費用とここ海老名ー流山間の往復のトラック代が掛からなくなります。しかし逆に、精米機の購入費用と建物の改装費、及び、精米機を動かす電気代が新たに発生します。ここを相殺し、更に製品の付加価値が上がることを根拠に銀行と話をしたことを昨日のことのように思い出します。2006年の夏は税理士先生と話をしながら計画書を作り上げました。

(写真)導入した精米機と玄米倉庫の様子

新中野工業のNF26という最新の精米機を導入

当時醸造用縦型精米機を製造していたメーカーは、新中野工業さんとサタケさんの2社でした。以前にはチヨダさんというメーカーもあったようでしたが、サタケさんに吸収されていたようです。どちらの精米機を導入するかは大問題。もちろんそれぞれから話を聞き、更に既に精米機を持っている酒蔵にも話を聞かせて頂いたりもしました。最終的には新中野工業に決めました。その理由は、醸造用精米機の専門会社であったこと、そして、当時1999年から泉橋酒造の米作りの技術顧問であった永谷正治先生の勧めが決め手となったように思います。(永谷先生は翌2007年5月に永眠されています)

この決定には不安もありました。当時は、酒造業界は斜陽産業のひとつ、最近のように新規参入が相次ぐ元気な業界ではおそらくなかった為、新中野工業さんも経営的には大変だったようで、購入したは良いがずっとメンテナンスしてもらえるのか、正直不安なところもありました。(ここは独り言、忘れてください)しかしながら、令和4年時点の新中野工業さんはバリバリに元気な精米機専門メーカーさんです!

(写真)計量中の白米のようす

2006年秋、泉橋酒造は、農業、精米、そして、醸造の一貫生産体制へ

この2006年(平成18年)は、泉橋酒造が一貫体制の確立した記念すべきスタートの年であると共に、造る日本酒をすべて純米酒(純米大吟醸、純米吟醸を含む)にし、「純米酒宣言」をした年でもありました。このあたりの話はまたにします。

泉橋酒造 蔵元・橋場友一

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